バスコのLIFE GOES ON!

40代でエレキギターを始めた愚か者の雑記帳。映画、音楽等についても申し述べます。

ただ、無差別に虐殺されるのを待つしかない絶望 ルワンダの涙

f:id:Ta-Basco:20191201161949j:plain

  

2005年 イギリス、ドイツ

 

f:id:Ta-Basco:20191124145718j:plain

 ルワンダ1994年4月5日から11日の間に起きた実話とのことです。

 フツ族政府は30年間少数民族ツチ族を迫害していましたが、西欧諸国の圧力でフツ族は渋々ツチ族と権力を分け合うことに合意しました。国連は首都キガリに少数の平和監視のための軍を派遣していました。そういう状況下にありました。

 

 首都キガリにある技術学校では、国連軍の護衛の元、老年の神父のクリストファーと最近来たばかりのジョーが地元の子供達の教育にあたっていました。

 フツ族の役人がツチ族の所在を調査するなど不穏な動きは見え隠れするものの、町は一応平穏でした。

 ジョーは走るのが得意な女生徒マリーを特に目にかけていて、将来その才能を開花させたいと思っていました。

 状況は、ある日突然暗転します。大統領機が撃墜されたのです。フツ族政府筋はツチ族による暗殺だと断定し、フツ族民兵達がナタでツチ族を襲い始めます。フツ族ツチ族のことを「ゴキブリ」と呼び、何の躊躇いもなく次々と惨殺するのです。

 国連軍がいる学校へ救いを求めて、多くのツチ族系住民が押し寄せて来ます。国連軍の責任者デロン大尉は、本部から学校を避難所としないよう命令を受けていると拒もうとしますが、クリストファーの強い申し入れで、渋々受け入れることにします。やがてジョーが可愛がっていたマリーも難を逃れて学校へやって来ました。

 やがて学校をフツ族民兵達が包囲し、国連軍との睨み合いが始まります。

 事態の打開のためにジョーは危険を承知で、知り合いのBBCの記者レイチェルにニュースにして欲しいと頼みにいきます。レイチェルは最初は関心を示さなかったものの、避難民の中に欧米人も含まれていると聞き、学校へ向かうことにします。帰路でフツ族民兵に止められたジョーは記者共々銃で突きつけられ、さらにその傍らではツチ族の男性がナタで執拗に叩き切られて絶命するのを目の当たりにします。民兵の中にたまたまフツ族の学校職員がいたことから、ジョー達は見逃してもらい、命からがら学校へ戻ります。

 記者からなぜ避難民の救助のために武力行使しないのか追及された大尉は、いくら馬鹿みたいに思われても、本部の命令に従うしかないのだと憤慨します。彼自身も現状に憤りを感じていたのです。

 夜。レイチェルになぜルワンダに来たのか尋ねられたジョーは、子供の頃恵まれていたから恩返しをしたいと思ったからだ、しかし何もできない自分が不甲斐ないと自分を責めます。それに対してレイチェルは、自分も去年ボスニアで取材していたときは死体を見ると自分の母を連想して毎日泣いていたのに、ここではただのアフリカ人の死体としか思えないので涙が出ない、結局私たちは自分勝手なのだと打ち明けます。

 次の日、フランス軍がやって来ます。皆期待を膨らませますが、トラックは2台だけで欧米人しか乗せないと言います。レイチェルはその車で避難することにしますが、ジョーは残ることにします。

 その後も学校を包囲する民兵と国連軍が対峙が続き、クリストファーもジョーも精神的に困憊します。

 事態はさらに深刻化し、大尉が本部から国連軍を空港まで撤退させるよう命令があったと告げに来ます。国連軍がいなくなるということは、学校にいる避難民は皆殺しにされるということです。

 ジョーはマリーの視線に良心の呵責を覚えながらも国連軍と共に撤退することにします。

 クリストファーは避難民と共に残ることにします。

 マリーの父親は大尉に、避難民の総意として、家族として死にたいから全員国連軍に銃殺して欲しいと懇願しますが聞き入れてもらえません。

 国連軍が去った後、外で待ち構えていた民兵達が「作業開始だ」という掛け声と共に学校へ突入します……。

 

f:id:Ta-Basco:20191124145901j:plain

 ルワンダにおける民族対立が招いた大量虐殺を描いた作品で、実話を元にしているそうです。

ja.wikipedia.org

 クリストファー、ジョー、国連軍のデロン大尉は立場は違えども、まさにジェノサイドが実行されんとする現場にいながら、それを阻止できないことに苛立ちます。クリストファーはツチ族避難民を救出するために武力行使をすべきだと主張しますが、大尉は本部からの命令に背くことはできないとこれを拒絶します。

 いかなる理由があっても殺人は、ましてや集団虐殺など許される行為ではありません。1994年4月から7月までの4ヶ月で80万人のルワンダ人が虐殺されたのに、それを「集団虐殺」と断言しなかった国際社会も如何なものかと思います。

 しかしルワンダ内紛の責任はどちらにあるのかという問題はそんなに簡単なものではないように思います。90年代だけを切り取ってみれば、ツチ族フツ族に迫害された被害者といえるので、フツ族を責めることに一見正当性があるように思えます。しかし、もう少し時間軸を広げて植民地時代まで遡れば、フツ族ツチ族から迫害されていたからです。

 この映画を見てフツ族が加害者、ツチ族が被害者と安易に決めつけるのは少々早計だと思います。往々にして歴史的背景がある問題に明快な正解はないものです(もっとも、この問題の諸悪の根元は植民地支配ですが)。

 そうそう。途中で地元民を置いて脱出するジョーを、傍観者が卑怯とか偽善者と責めてはいけません。ジョーは生涯そのことへの悔恨に苦しめられるのです。

 同じテーマの作品としてホテル・ルワンダがありますが、こちらの方が生々しく臨場感があります。多くのルワンダ内紛の被害者がスタッフとして参加していたことも、それに寄与しているのでしょう。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。